TSUCHIDA YASUHIKO - 土田康彦

『墓参りの午後/土田康彦』

澄み渡る空高く、秋晴れの穏やかな午後、僕は家内と娘を連れてムラノ島のはずれにある先代の墓参りに行った。 紅葉に滲む50メートルほどのポプラ並木をくぐり、大きな墓地の一番奥にある先代のお墓にたどり着くまで、いくつものお墓の間を僕たちは永遠に歩くのだ。

ヴェネチアの墓石には陶版で焼かれた写真が施されていて、誰のお墓なのか一目瞭然でわかるようになっている。しばらく歩いているうちにだんだん気分が切なくなってきた。僕にとってその光景はあまりに重いものでした。

1994年からこの島に渡り、多くの人々にお世話になりながらガラス制作を行なう僕にとって、その活動を支えてくれたマエストロたちのお墓が年々増えていく情景は哀切きわまりなきもの。僕は歩きながら、『彼には宙吹きを学んだ。彼は研磨技術を教えてくれた。色彩について教えてくれたのは彼だった。。。』まるで紹介するように娘に語りかけた。彼女は静かに聴いていた。モザイク技法の名人、ガラスの成分に詳しかった職人、ムラノ・グラスの歴史を教えてくれたマエストロ。。。皆小さくなってしまった。あぁ、この島にたどり着き、もうどれくらいの時が流れたろう、どれほどの人たちの御陰で。。。

壮大なヴェネチアン・グラス千年の歴史の彼方に消えていった名もなき彼らが、今ここに眠っている。継承される厳格な伝統の渦の中で、彼らは彼らの二本の腕と創造力でもって毎日を戦い、巧みの世界を全うし、そして老いていった。しかし、いずれの写真の表情にも職人魂のプライドが羨ましいほど満ちあふれている。死は生の対極に存在するのではなく、死は生の一部であり、その生こそ歴史の欠片であり、そしていつしか人はそれを伝統と呼ぶのだろうか。

優しかった彼らのムラノ方言が、窯の炎の音と共に僕の脳裏でしばらくこだましていた。柔らかく繋いだ娘の小さな手に、僕は何かを伝えようとする。先祖に祈りを捧ぐ家内の背景、乾いた墓石が吹きはじめた初冬の風にさらされている。

ムラノ島にて。。。2011年 冬 土田康彦